《着物リサイクル春夏秋冬》第213回 GINZA SIX開店一周年を記念して、薪能が催される

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《着物リサイクル春夏秋冬》第213回 GINZA SIX開店一周年を記念して、薪能が催される

2018年06月08日

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中古着物を販売するたんす屋社長の中村健一氏が、自社の取り組みなどから中古着物業界について切る、本紙連載企画「着物春夏秋冬」。

26435dc35930f8efcbe9ed6852abfd95e491ae12.jpg東京山喜 (店名・たんす屋) 中村 健一 社長

1954年9月京都生まれ。77年 カリフォルニア州立大学ロングビーチ校留学、79年 慶応義塾大学卒業。同年東京山喜入社、87年 取締役京都支店長、91年 常務、93年 社長に就任、今に至る。

GINZA SIX 薪能
日本文化発信型着物店
能を着物文化と繋げて伝えていく

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▲屋上庭園で公演された薪能の様子

5月4日、ギンザシックスのガーデン(屋上)で午後6時から薪能が催された。
これは、昨年4月20日にグランドオープンしたギンザシックスの開店一周年を記念してのイベントである。
銀座初の百貨店である松坂屋が2013年6月30日に88年の歴史に幕を下ろした。

最終日まで閉店売り尽くしセールをお手伝いさせて頂き、大きな売上を上げる事ができたのも懐かしい思い出である。
銀座の地に日本初の下足のまま上がれる百貨店として、松坂屋が開店した1924年(大正13年)は、奇しくも弊社の創業の年にあたる。

最終日、大勢のマスコミが取り囲む中、最後のシャッターが下ろされるまでしっかりと見届けさせて頂いた。 
あれから約4年の月日を経て、銀座の新たなランドマークとしてギンザシックスが開業した。商業施設の計画および運営は、J.フロントリテイリング(大丸松坂屋)、森ビル、Lリアルエステート(LVMHが出資する不動産ファンド)、住友商事の4社一体で推進し、銀座エリアに国際的な商業空間を創り上げた。 
中でも特筆すべきは、地下3階に観世能楽堂を誘致したことではないだろうか。

2015年3月まで渋谷の松濤に構えていた能楽堂の総檜舞台が、そのまま移築された。
二十六世観世宗家の観世清和さんによると、能楽は江戸時代に幕府の庇護のもと全盛期を迎え、観世家は幕末まで銀座に居を構えていたそうである。

その後、明治維新で国に土地を返上して以来、今回再び銀座の地へ戻るのは150年ぶりのことだという。
その観世清和さんから、観世能楽堂のプラチナスポンサーへのお誘いを受け、日本文化発信型着物屋を目指す私として僭越ではあるが、謹んでお受けさせて頂いた。
そのご縁で今回の薪能にご招待頂いた。

天気は直前まで怪しい雲行き 

ご存知の通り薪能は能楽堂、もしくは野外に臨時に設置された能舞台の周囲にかがり火を焚き、その中で演じる能楽である。私も、靖国神社の夜桜能や宮島の厳島神社の薪能を観に行ったことが数回あるが、野外のことなので天気の影響を大いに受ける。

今回も雨天・荒天の際は、会場が地下3階の観世能楽堂に変更する旨があらかじめ告知されていた。前日の天気予報では午後から荒れるとの予想で心配していたが、当日の昼過ぎまでは夏日の暑い天気だった。 

午前11時からはコレド室町の日本橋三井ホールで開催されていた「東京キモノショー」で、ファッションデザイナーの横森美奈子さんとトークショーをさせて頂いた。

私は単衣の着物に絽の羽織という初夏のいで立ちで出かけた。開演は6時だったが開場が5時になっていたので、5時過ぎにギンザシックスのガーデン(屋上)に行ってみたところ、上空は黒い雲に覆われ冷たい風が強く吹いき、更には頬にパラリと冷たいものがあたり、昼間の〝暑い〟が一転して〝寒い〟に急変していた。 

私以外に数人のゲストをお招きしていたが、皆さん無事に開催されるか心配されていた。

私も事によるとヒョウでも降りはしないかと思った程の状況だった。しかし、強風だったがなんとか雨も降らず、無事に薪能が催された。

息子が出演 ドキドキ&誇らしい

中央区の矢田美英区長さんのご挨拶と区長さん自らの火入れ式後、いよいよ今回の薪能のメイン「土蜘蛛」という能がスタートした。
満員の観客は寒さに耐えながら能楽を鑑賞した。

シテ(主役)は観世清和さんで、約一時間の舞台である。アイは中村修一で、これはまったくの偶然だが私の長男だ。
息子は、小学校4年生から縁あって和泉流狂言師、野村万作さん(人間国宝)に師事し、大学卒業後狂言師になった。

アイは演目が前半と後半に分かれている場合、シテが一旦舞台から下がった折に前半のあらすじなどを語る役割で、狂言方が担当する。約10分程度でしょうか、アイの息子が能舞台で一人で語り続ける間中、私はドキドキしながら見守っていた。大役を無事に終えて舞台から降りて行く息子を観ながら、ホッとしながらも誇らしく思える瞬間であった。

着物を商いながら日本文化を背負う

が目指す日本文化発信型着物屋とは、具体的に言ってどの様なものなのか、自問自答することがある。

銀座に新たな歌舞伎座が2013年4月にオープンした。その4年後に能楽五流派のうち最大規模を誇る観世流の活動拠点が150年ぶりに銀座に戻ってきた。

我々たんす屋は、着物や帯を商いながら、日本文化を背中に背負っていきたいと考えている。
そして日本文化の中でも最高峰の伝統芸能を、着物を着る文化としっかりと繋げていきたいと思っている。

今回お招きして着物で来て頂けた着物研究家の森田空美先生や、ギンザシックスで自らの着物ショップを経営されている着物デザイナーの斉藤上太郎さんはじめ、ゲストの皆様方にも日本文化と着物文化を堪能して楽しんで頂けたなら、これに勝る喜びはない。

第440号(2018/05/25発行)18面

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