コメ兵、緊急事態宣言で全店舗の休業を決断

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コメ兵、緊急事態宣言で全店舗の休業を決断

2020年04月28日

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石原卓児社長コメ兵 石原卓児社長

リーマン・チャイナショックを乗り越えた強みの"現場力"とは

未曽有の事態がリユース市場を襲っている。緊急事態宣言により、店舗の営業に制限が課される中、中古ブランド最大手のコメ兵(愛知県名古屋市)は全店休業という判断を下した。同社の創業は昭和22年と業歴は70年以上にわたるが、50年以上も赤字決算は記録されていない。これまでの苦難をどう乗り越えてきたのか。石原卓児社長に聞いた。

店舗が開けられない厳しさ
今まで味わったことない環境

Zoomを使ってインタビューに応じる石原社長Zoomを使ってインタビューに応じる石原社長

--まず、新型コロナの影響をお聞きしたいのですが。

石原 一言でいうと、厳しいですね。厳しいと言うのは、店舗を開けられない厳しさです。今までリーマン、チャイナショックや震災とかいろいろありましたが、地域が限定されていたり、高額品が売れにくくなったり、中国人のお客様が弱くなったりと影響範囲が限られていました。そのため、影響がないところをどう伸ばすかという工夫ができました。しかし、今回のような営業ができないというのは今まで味わったことがない環境です。いつまで続くのか時間軸の不安もあれば、お客様にどのように商売として提供できるかという打ち手がだいぶ狭まっていっているので、そこが厳しいなと感じています。

--非常事態宣言が発令され、対象エリアの店舗を全店休業にされました。

石原 その判断は、緊急事態宣言が出された中で、何を最優先するか?を考えた結果です。店を営業すると、通常より少ないとはいえお客様は来店されますし、スタッフも出社することになりますが、不安な思いをしながら通勤をし、売場に立つのは、最高のパフォーマンスを出せる環境じゃないと思いました。当然、家賃を払っている店舗ばかりなので、営業したいのはやまやまなんですが、ここで落とした数字はいつか取り返せる数字だと思うので。経済合理性よりもまず、お客様とスタッフの健康と安全を最優先し、ここは休もうと判断しました。

--現場から不安だという声は上がっていましたか。

石原 実はまだそんなに上がっていませんでした。ただ私の中では、東日本大震災の苦い思い出があり、非常事態宣言が出る前でしたが、お客様とスタッフのため、まず最初に関東の店舗を休もうと決めました。

--苦い思い出と言うと?

石原 東日本大震災が起きた3月11日は、コメ兵の決算セール1日前だったんです。私は当時役員でも店長でもなく、営業企画部長としてセールの企画を考える立場でした。その日は準備で大阪に行っており、関東が大事になっていることに気付けなかったんです。そのちょっと前まで新宿店の店長だったので、みんな関東が大変なことになっていますとメッセージを送ってきてくれたんですが、店を閉めるという判断がその時はできなかった。それを決める立場でもなかったですし、大阪にいたから現場の緊張感を読み取ることができませんでした。

ですから今年3月のセール最後の土日は臨時休業にしました。給料日後だし、最後に売上をドンと作ろうと言っていた中でしたし、商売上は決算月でしたので、非常に痛いんですけど。ただやはり、その後も一緒に歩んでくれているお客様やスタッフがいっぱいいると思ったらと。私も今は社長ですし、腹をくくって休むぞって決めていける立場なので、意思決定しました。過去の苦い経験が積み重ねてきた想いが一番強かったのかもしれません。

現場スタッフがお客との会話で得た定性情報と
POS・顧客データによる定量情報でMDを変更

--2000年以降では、リーマンやチャイナショックが中古ブランド市場に大きな打撃を与えました。当時はどのように対処されたのでしょうか。

石原 リーマンショックが起きた際にやったことは、組織の変更です。バッグ、時計、ジュエリーと商材別の事業部制だったのを店舗に権限を委譲させる形に変えました。商材ごとだと名古屋だけで商売をやっている分には問題なかったのですが、2003年に上場して東京に進出したり、全国をコントロールするのが難しくなっていたんです。店舗によって立地やターゲットも異なりましたし、フロアごとにサービスもやり方も違うよねってなっていたので効率が上がる仕組みに変えていきました。

また、それまで商品管理部門が名古屋と東京の2つに分かれていたのを名古屋に商品センターを新設して集約することによって、商品をより売れる店舗に送ることができるようになりました。それまでは、東京で買ったものは東京で、名古屋で買ったものは名古屋でしか売らなかったんです。

--商品センターを名古屋に集約したことで効率が上がったわけですね。

石原 商品センターでは、検品、真贋判定、メンテナンス、値付けといった商品化作業の他ECのササゲ業務を全部やっています。ささげ業務に関しては、それまでは預かった店舗で分散してやっていたため、コストも全然違っていたんです。集約化することで、コストも作業のクオリティも保てることができました。

また、メンバーズカードを導入することで、顧客管理をしっかりと行えるようになりました。どこの誰が何を買ってくれているのかがそれまでは分からなかったのです。POSレジで取得できる商品データだけでは補えなかったお客様個々の実績をつないでいきました。こうしたデータがあったからこそ、商品の最適な配置につなげることができています。売れるところに適切な商品を供給することで、効率化することができているのです。

--チャイナショックの際は、インバウンド需要が大きな打撃を受けました。

石原 当時のインバウンドの半分は中国人のお客様の売上でした。そのため、店舗の商品が高いものばかりになっていて、日本のお客様は買いにくい品揃えになってしまっていました。いわゆるチャイナショックが起き、中国人のお客様が買わなくなっただけじゃなく、日本のお客様も買いにくく、欲しいものが売場にないためお客様も離れつつあり、売れ行きも落ちました。

--どのように改善を図ったのですか。

石原 売上が落ちた理由はインバウンドの大幅な下落でした。それをどう埋めるかという課題に関して、もう一度日本人のお客様にご利用していただきやすい店舗を目指すことにしました。

コメ兵は、現場力が一番の財産なので、現場スタッフがお客様との会話とで得られる定性情報と、POS・顧客データによる定量情報をもとにMDを変えていきました。平均単価ではなく、利益ベースのボリュームゾーンで見ていくと、ジュエリーやバッグは10万円前後が、時計は30~50万円のものがたくさん売れていました。確かにロレックスのデイトナが売れれば、100万円、金無垢のデイトナが売れれば300万円という売上に数字上はなるんですが、今まではそれが売れていたので、数字が作れていたのですが、それを買うお客様が来なくなった中、それを置いといても売れますか?と。ですから、それに合わせた買取強化を図って、品揃えを時間をかけてごそっと変えて、日本人のお客様に支持される商品構成に品揃えにしていきました。

--どうやって入れ替えていったのでしょう。

石原 商品を入れ替えるため、基本的にはまず店舗で思い切って値下げをして販売しました。損をして売るのではあれば、店舗をご利用いただくお客様に得して欲しい、その方がお客様に喜んで頂けるんじゃないかと。長い目で見れば、コメ兵を長くやっていく上ではそれが正解だと判断しました。ただ、在庫の滞留期間が長くなれば、現金に変えなさいという会社のルールがあるので、そういった商品はKOMEHYOオークション等の古物市場で販売しました。一方で、仕入れは日本人のお客様に喜んで頂けそうな商品の買取を強化していきました。その際、過去に当社でどのお客様が何を購入頂いたがデータ上分かっているので、こういうものの買取を強化していますよとDMで告知したりしていました。

--MDを変える判断はどのタイミングで行いましたか。

石原 第一四半期が終わる段階で初めて上半期が赤字になるかもしれないという傾向がありました。それですぐに業績回復の対策を練るためのプロジェクトを立ち上げました。その際に話したのは、「業績は悪くても人員整理的なリストラはしない」、「期末には赤字にはしない」この2つがクリアできるのであれば、会社を守るために、プロジェクトで決めたことをすると。MDの変更や不採算のお店は閉めようと、やりたくもないこともたくさんありましたが、「止血」を重視し決めていきました。リーマンの後に業績を伸ばしたひとつの要因に出店を重ねていったことがありました。長い目で見れば黒字になるんだろうけど、伸び悩んでいた店舗が数店舗ありました。その約9店舗を閉めようという判断をしました。

--閉店してもリストラはしませんでした。そのスタッフの方は。

石原 他の店舗に異動して頂きました。閉めた9店舗は、比較的小ぶりな店舗です。当然収益を上げるには売上を上げなければならないので、売上のとれるサイズの店舗に異動させました。当時梅田と名駅に400坪程度の大きなお店を出すことを決めていました。閉店したのは小ぶりの店舗とは言え、そこには若手エース級の店長やスタッフが少人数でも店舗を回せる能力を持ったスタッフを配置していたので、梅田や名駅に異動してもらうことにしました。

--赤字にならず長年経営できているのは、こうした判断が早かったからでしょうか?

石原 判断が早かったかどうかは分かりませんが、決めたことを実行に移すのは速かったと思います。決めたことをやりきるぞって。ちゃんとゴールが決まればスピード感はあると。

--そのスピード感は、どこから来るものなんでしょうか?

石原 一番は社風や企業文化、支えてくれるスタッフの真面目さというか勤勉さに由来すると思います。当然、いろいろみんな想いはあるものの、それが方針であればいきますよっていう目指すところへの貪欲さは強いなと思います。リーマンショックやチャイナショックであろうが、何をやるかという意思決定を決める、会社としての方針を決めることも大事なんですが、決めた後にどうやって動いてくれるか、どうやって焚きつけるか、伝達の仕方も大事だと思います。ちゃんとやってくれたことに対して、見ている、評価する、ほめる、声がけする1個1個はアナログなことかもしれませんが、みんな働いてきたやりがいや生きがいは、給料や会社規模だけではないと思います。当事者意識を持ってちゃんとやってくれたことに対して感謝をしていくというのが昔からの社風なところもありますし、今のスタッフたちも大事にしてくれていることだと思います。

緊急事態宣言で従業員に伝えた3つのメッセージ

--全店休業という中、今どんなことをされているのでしょう。

石原 どこまで長引くかは分からないものの、少しずつ潮目が変わってくる時があると思うので、アフターコロナに備えて準備をしようというのは、私からも全スタッフに発信しています。時間を無駄にしないように、準備を少しずつ進めていっている最中です。今はお店のシャッターが閉まって営業できていませんが、アフターコロナに備えて能力を上げていくことがやれていると思います。バイヤーの教育システムがWEBで実施できるようになっていたり、裏側で人材の能力を上げる仕組み作りをこの何年かずっとやってきました。今までは集合研修をやっていましたが、オンラインでもできるようになっています。店に配属されている多くのスタッフは、自宅待機状態が多いですが、全員休業しているわけではありません。オンラインでのバイヤーの勉強会をやったりですとか、企業研修みたいなことを新入社員も含めてやったりしています。お店には出ることができないですけど、オンラインで学び、今しかできないことを短い期間に勉強しようと。短い時間に教育をぐっとできるのは、考え方を変えれば、集中教育ができるのでプラスに考えようという想いはあります。

また、店舗は閉まっているものの、オンラインでの販売は継続しています。オンラインの売上は少しずつでも伸びている環境は作れている。コツコツ工夫をしてお客様のためにしてきたことが、行動制限で不自由になってもご利用頂ける環境が作れたかなと思います。中にはオンラインで販売しているモノを見てから買いたいという方もいらっしゃいます。コメ兵ではオンラインで売れた商品を店舗から発送しています。お店に在庫があるので、一部の店舗では予約制にして、店舗で見てもらって販売することもやっていきたいなと進めています。

--従業員の方に向けてメッセージを発信されたそうですが、どんな内容ですか。

石原 4月7日に緊急事態宣言が発令された時に、ウェブ会議で私から直接3つのメッセージを伝えました。

1つ目は、7都府県で緊急事態宣言が出ました。該当する店舗は全店営業を休止しますと。エリアによっては休業するところ、やるところもありますが、出勤等に偏りが生じないように明確にしていきますよと。

2つ目は、こういった事態だけど、今できることをちゃんとやろう。店は開けられないけど、みんなの自己啓発というか教育できる時間はあるので、それを無駄にするのではなく、プラスに変えていこうと。

そして3つ目は、経費を抑制するため、削減するための人員整理はしないとみんなに伝えてあります。営業が通常通りできないので、みんなにはいろいろ我慢してもらうことは出てくると思うけど、リストラすることはないので、信じてついてきてほしいと伝えました。

--先が見えない中で、人員整理をしないと明言されるのは、簡単に言えることではありません。

石原 正直私自身も不安です。ですが、恵まれているなと思うのは、ただ単に歴史が長いとかじゃなくて、過去の経営者たちが様々な資産を蓄積しておいてくれたことです。その原資がなければ、僕も怖くて言えないです。チャイナショック後にみんなでクレドというものを作ったんですが、その中に「感謝のリレー」という言葉があって、これまで支えていただいた方への感謝を忘れず、その気持ちを未来につなげていこうねって。緊急事態宣言になっても会社がちゃんと耐えられるように、過去の先輩方が残してくれた様々な資産を無駄にすることなく、スタッフを守るため、会社を守るために活用できれば、一時的に資産が減ったとしても状況が好転したときにスタッフががんばって新たな資産を積み上げてくれると思うので。オーナーとかファミリー経営とかは気にしたくないけど、雇われ社長じゃないから決められた、言えた一言だったんじゃないかなと思います。会社は継続できないと不幸を見る人が出ちゃいますから、時代に応じて拡大しながらも資産を蓄積していく。一番守らなければいけないものを守れるのか、今後もつないでいかないといけない想いだと考えています。


会社概要
商 号:株式会社コメ兵
創 業:1947年
設 立:1979年5月
所在地:〒460-0011 名古屋市中区大須3-25-31
代表者:代表取締役社長 石原 卓児
決算期:3月31日
資本金:1,803,780千円
事業内容: 中古品及び新品の宝石・貴金属、時計、バッグ、衣料、きもの、カメラ、楽器などの仕入・販売及び不動産賃貸

第486号(2020/4/25発行)6,7面

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